REONALab.Blog

数学と芸術とプログラムについて日々思ったことを書いていきます、雑食。

1+1=2について(その2)

注意

最初に断っておこうと思いますが、これは私の一考えであり数学において正しさが保障されていないものがあります。間違っていることを言っているということではなく、私の解釈で理解していることを書きます。

何かありましたら感想などにお願いします。

 

 

 

というわけでして、その2を書きます。本当は二日連続であげるつもりだったんですが、なんやかんやありましてまあ一週間以内にあげればよかろうというところにひと段落した次第です。では続きが始まります。

(書いてるテンションがその1とかなり違うので文体が変わるかもしれませんが、ご容赦ください) 

1や足し算の意味を考えてみた

何に1の意味を求めればいいのかということでしたが、まずはお聞きしたいことがあります。

『1個』や『1匹』、『1cm』とかと数字の『1』の違いって分かりますか?

これってたぶん答えられる方、ほとんどいないと思うんですよね。

これの答え(あくまで私の解釈としての)は

 

1はすべての単体の物理量の集合の同一視です。

 

物理量???同一視???という方がいるかと思うんですが、そこはググれとは言わずにここでお話しします。

物理量というのは簡単に言うと、単位のこと。(授業とかのじゃないよ)

りんご1個の『個』とか、1cmの『cm』とかですね。

でもここではもっと細かく見て、りんご1個なら『りんご  個』、みかん1個なら『みかん 個』を物理量と思います。(これはこのあと役に立ちます)

 

同一視というのは、すべて同じものとみなすということです。これは数学でよくやります。例えば、2で割ったあまりでまとめると偶数と奇数に分かれます。これは2で割ったあまりで同一視してるわけですね。

 

イメージ図(またも手書きで申し訳ありません)

 

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上で使われている記号は三角形の合同条件の時に使った『合同』のようなものです。

ちなみに集合の要素が一つだけの集合のことを英語でシングルトンっていうんですけど、可愛くないですか!!

 

足し算を意味的に考える

 

1の説明が終わったと思います。では足し算の意味行きたいと思います。

 

 足し算の前にまずは、2という数字を作りましょう。2は1と同様に2つの物の物理量の同一視したものです。やや冗長かもしれませんが、イメージ図を。

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これで2が作れましたね。

 

それでは今作った2と1にはどういう関係がありますか?

(勝手ながら私は人は関係や名前をつけたがる生物だと思っております)

1が2個あったら、2になりませんか?正確に言うと、りんご1個の集合が2個あったら2と思いますよね?この関係を足し算としよう!ということなのです。

(何度も書きますがこれは私が考えたことであり、数学的な正しさとは別です。数学のお話が知りたい方は順序数とかでググりましょう) 

文章で書いてあるとわからない方もいると思うので絵で書いてみると…

 

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こういう感じですね。

 このような関係で定義した足し算には二つのルールがあります。

  1. 足すものは同じ物理量のもの
  2. 物理量は変化しない

です。一つずつ説明していきたいと思います。

 

ルール1

なんとなく分かると思いますが、要は違う物理量のものは足せないよということです。

りんご1個とみかん1個は『りんご 個』と『みかん 個』が物理量になるので足せないです、ということです。(ここで単位を種類でも分けることにしたことが役に立つのです)

 

ルール2

これはどういうことかピンとこない方がいると思うので、具体例から見ていきましょう。

例その1 )

先生「みかん1個とみかん1個、足したら2個ですね」

A君「先生!みかんの中には身が7個あります!なのになんで2個なんですか?」

先生「A君、あのね…」(呆れた感じ)

 

これ、昔のドラマでチームナックスヤスケンが教師役で出てたドラマがあったのですがそこでこういうことがありました。(最初の情報は余談です)

よくある質問だと思います。ここで何が問題になっているかというと、物理量が『みかん 個』から『みかんの身 個』に変化してるのです。なので、『みかん』というものを変化させずに1つのものとして扱わないといけないということです。

なので、足すときに物理量を変化させてはいけないということです。

 ちなみに、定義した、ルール付けしたものがちゃんといい振る舞いをすることを数学では『well-definedである』*1と言います。

 

 

まとめ

 どうでしたでしょうか?私の1+1=2についての考えは受け入れられたでしょうか?

実は話の中で数詞と数をちゃんと説明してないのでよくないなあと思いながらも区別はちゃんとしてたので大丈夫かなと思います。実は私たちは無意識的にここら辺の区別をしてるのです。しかし、これを意識的にできる人は限られていて。1+1=2の理由にただ『りんご1個とりんご1個を足したら2個でしょ!』というだけでは数詞と数の区別をちゃんとできていないので答えられていないとおもっています。ここらへんは難しい問題でもあるんですよね…

また、人はりんご1個があった時に、りんごの性質を見てしまう傾向にあります。つまり、赤いのか青いのか、大きいのか小さいのかみたいなところです。ここではただ、そぼくに『りんご』というものが1個あるということに触れたいのにその性質が邪魔をするんですね。この必要な性質だけ抜き出して、他の性質については触れないというのもなかなかちゃんとできる人はいないなあと。少なくとも私はたまに間違えますし。

実はこういった認知とか言語的問題も含んでて(実はそっちの方が大きく絡んでます)、その問題と実は自然数全体の集合を作るときの話とは違う話なんだなあというのがわかっていただけたらなと思います。

 

それではその1から続いた長文でしたが、ご一読ありがとうございました。

 

*1:ルールの中で矛盾が生じてたりや、少し条件が変わっただけでダメになってたらいい振る舞いとは言えないのです。

1+1=2について(その1)

注意

最初に断っておこうと思いますが、これは私の一考えであり数学において正しさが保障されていないものがあります。間違っていることを言っているということではなく、私の解釈で理解していることを書きます。

何かありましたら感想などにお願いします。

 

初めてこのブログでまともに数学のことを書こうと思いました。書こうと思ったきっかけがこちらのツイートになります。

 

 

見れない方のために画像も貼らせていただきます。(道雪 葵さんに許可を得ています。道雪 葵さんのアカウントはこちらです。  道雪 葵 (@michiyukiaporo) | Twitter )

 

『小1の時に1+1がどうして2になるのかわからなくて、強迫神経症になった話の漫画です。ギャグみたいだけど当時はほんっとにつらかった。 この時、私に自信と「忘れてもいい」「間違ってもいい」を教えてくれた先生には今でも助けられてるなあと、ふと思い出して描きました。』

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 これを見たときに、私は{1+1=2 }の意味を考えたことがある人はどれだけいるのだろうか?ということと、『りんご1個とりんご1個足してりんご2個』という説明ではなぜいけないのか?ということを考えました。かなり考えていたせいか、いつの間にか書く書く詐欺をしていたことを許してください…

というわけで今から数学のお話がかなり続くと思いますがご了承下さい。なるべくみんなにわかりやすいお話をしたいと思っております。

 

数学に1+1=2の意味を聞くのは間違い

 

よく、 『なんで{1+1=2}なの?』という質問に対して、ペアノの公理*1と言うものを引き合いに出す人がいます。ペアノの公理とは何かというと、以下の命題の集合になります。

{ \displaystyle \begin{eqnarray} 1 \in {\mathbb N } \tag{1} \\ \forall n \in {\mathbb N } \ (n' \in {\mathbb N }) \tag{2} \\ \forall n \in {\mathbb N } (n' \not = 1) \tag{3} \\ \forall m,n \in {\mathbb N } ( m' = n' \Rightarrow m = n ) \tag{4} \\(P(1) \wedge \forall k \in {\mathbb N } [P(k) \Rightarrow P(k')]) \Rightarrow \forall n \in {\mathbb N } [ P(n) ] \tag{5} \end{eqnarray} }

こんな文字ばっか見せられて、数学が得意ではない方は「うぎゃっ!」となるかもしれません。なのでひとつずつ見ていきましょう。

 

まず、{ {\mathbb N } }がなんなの?という方がいらっしゃると思うのですが、これは自然数全体の集合*2のことです。その中身が具体的にどうなっているのか、構成的に示しているのがペアノの公理になります。

一番目は、{1}自然数全体の集合に入っている。ということを言ってます。

二番目は{n}{ {\mathbb N } }に入っていたら、{n'}というのも{ {\mathbb N } }入っているということです。*3{n'}はまだ足し算というものが定義されてないのですが、{n+1}だと思ってください。{n'}の事を{n}後続数と言います。

三番目はどんな自然数nに対しても{n'}は1じゃないという事です。{n'}{n+1}と考えると、{1'}{1+1}という意味で{2}になるので{2 \not =1 }ですね。

四番目は後続数が等しかったら、元の数も等しいという事です。もし後続数が等しくても、元の数が違ってたら、ループになります。イメージこんな感じ。

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(webホワイトボードで書いたのでかなり汚いですが…)

 五番目はいわゆる数学的帰納法と言われるやつです。命題が{n=1}の時正しくて、{n=k}の時正しいと仮定して、{n=k+1}が正しい時、全ての{n}についてその命題は正しいというやつです。ここではあまり重要ではないので説明はこれぐらいにします。

 

さて、こうやってペアノの公理を書きましたが、実はこれ、{1}の意味については何も言及してません。正確に言えばこれは自然数全体の集合というのを形式的に作る方法を述べているだけであり、自然数全体の集合というルールを書いているのです。*4意味とルールは別のところにあるということを知って欲しいのです。

また、足し算はペアノ算術というというものから定義されますが、あくまでルールを決めるだけです。だからそこに意味というものを求めるのは違うのです!(ここらへんは私の見解です)

 

では、何に{1}の意味を求めればいいんでしょうか?それは、その2に続きます。

 

長文失礼しました。

 

 

 

*1:公理というのは正しいと認める命題のことです

*2:集合はものの集まりです。

*3:このnってなんだわ!?と思う人がいるかもしれませんが、具体的に1000とか400000とかそういうのを全て扱って書くと紙が何枚あっても足りません。なので、いろんな自然数全てひっくるめて扱いたいのでnとかきます。

*4:形式的にというのは簡単に言うとルールに従って行うことです

ブログの名前の由来

こんばんは。

ちょっと書類仕事に飽きてしまって、箸休めに簡単に文章が書きたくなったので、書きます。

どうでもいいかなと思いながらも、ブログの名前の由来でも話そうかなと。

 

実は私、とてもお酒が大好きです。とくにBARにいってカクテルを飲みに行くということがとても大好きで1人で飲みにいったりもしてます。カクテルは作るバーテンダーさんによって同じレシピでも全然味が違うのでとても楽しいのです。また、カクテルひとつひとつにある物語というものがとても大好きという、とてもオールドファッションな人なのです。

 

カクテルのひとつに『ブルームーン』と言われるカクテルがあります。(ここで、ビールのブルームーンではないことを強調します)古くからあるカクテルで、独特の青い色味がとても素敵なカクテルです。

実はこのカクテル、カップルで頼むととても不吉なカクテルなのです。

どういうことかと言いますと、ブルームーンには「ありえないこと、起き得ないこと」という意味があります。そこから転じて、あなたと付き合うのはありえないという、別れ際のカクテルとして使われてたりしてました(昔の話なので、今は知らないです)。

そんなブルームーンの逸話から、「ありえないことはお好きですか?」という、私からブログを見てる人になんとなーく伝わったら嬉しいなと思い、この名前にしました。

 

カクテルを飲めば飲むほど、物語が増えていく。そんな楽しみ方もBARにはあります。良ければ飲みに行きませんか?

 

それでは事務仕事に戻ろうと思います。

40one'sでの展示について。

こんばんは。

これを書いている今はてっぺんが超えてまして、お酒も飲んでるのでだいぶ疲れてます

…笑

お酒を飲んでますが回ってないのでもう少し飲みたいなあという気分でもありますね。

まあ、それは記事とはなんら関係がないのでこれぐらいにしておきましょう。

 

3/17~20にギャラリー40で行われた、40one'sと云う写真展に出展してました。

plus-40.jp

 

展示した作品はこれです。まずは全体のイメージから。

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なにこれ!?と云う方がいらっしゃると思うので説明をば。

 

『曲線美と言われている体の部位は数学的に良い性質を持っているのか?』というテーマで実験と研究をした結果とマイルストーンの提示をしました。

詳しく話しますと、モデルさんに頼みまして、くびれやお尻、足といった曲線美と言われるところの写真を撮りました。プログラムで輪郭を検出させ、それに対してフーリエ変換という線からグラフを作る操作を行い、グラフができるのでそこから数式を求めます。

隣にある数式は、グラフの式になっています。(詳しい結果や元の画像はまた後で貼ります)

実はとある記事を参考にしてました。

 

ここで実は大事な点がありまして、それはこの研究をしていく段階でどこまでが写真なのかという話が突きつけられるところとこの実験自体は失敗だったということです。

まずは前者の話からしたいと思います。

 

・どこまでが写真なのか

デジタル写真になる前から写真のレタッチはありましたが、デジタル写真になってから特に様々な写真が生まれました。それゆえか生まれた問題が『写真の定義とは?』だと私は思っています。写真と動画の違いは?タイムラプスは写真なのか?などのお話はやはり良く起こる事でして… 私の中での写真の定義は決まっていまして、それは「視点を保存している画像」だと思っています。(これは私の考えなので世間で正しいとされているわけではないですし、押し付けるつもりもありません)

どういうことかと言いますと、動画は視点が一定に定まらないので写真ではありません。でもタイムラプスは常に同じ視点からの画像をつなげたものなので写真です。そして、私が作った、グラフの画像も視点は変わってないですし、少なくともphotoshopで行うレタッチと同程度のプログラム処理しか行ってないので写真だなあと思ってます。もっと言うなら数式自体がその視点も保存してるので写真です。しかし、あくまでそう思ってるのは私であって見ている人でありません。なので見た方がこれを見たときに写真だと思ったり、思わなかったりしたらなんでそう思ったのか?と問うことを実は暗に含んでいます。それをキャプションで書くべきではと思うかもしれませんが、あまりにも説明的ですし長いのでやめました。そういうことを考えながら実は展示しました。展示そのものも実験だったので、見に来てくださった皆様には申し訳ありませんという気持ちです。

 

・実験自体が失敗だった

どういうことかと言いますと、テーマは『曲線美と言われている体の部位は数学的に良い性質を持っているのか?』でした。このテーマからまず浮かんでくるのは「数学的に良い性質を持ったものとの対比」です。なので直線や円、球、ドーナツ(専門用語でトーラスといいます)などは良い性質を持っているので、それとの対比をさせたかったのですが,それらと対比できる数式、グラフを求めていてはなかったということです。

少し専門的な話なので申し訳ないのですが、グラフを作る時に点群で解析しないとフーリエ変換できませんでした(このプログラムでは)。つまりどういうことかと言いますと、直線ではなく、囲んであって閉じてあるものじゃないと求めたい数式が求められないということでした。しかし、今回のは体の輪郭を取っているのでもちろん囲めません。なので、今回のグラフの求め方は失敗だったのです。

 

(ここで話が区切れます)

 

多分、ここで失敗だったものを展示していいの?と思う方がいると思います。それに対しての私の答えは「展示してもいい」です。正確に言えば、実験は失敗していたけれど、私が思う写真としての完成度はすごく良かったので、これをちゃんと考えて展示に出すことはいいと判断しました。何より、私のやろうとしてることは少なくとも私が調べた範囲内では誰もやっていなかったので今試行錯誤して今じぶんが作り上げているところです。なのでもし実験の完成品を提示しようと思ったらいつになるかわかりませんし、私自身展示のアウトプットが下手だと思ってるので、その練習ができる機会がありません。なので、今回は主催の方の許可を得てこのように展示させていただきました。

この場を借りて稲葉豊さんに感謝を伝えたいと思います。

こういうことが背景にありました。

 

展示作品としての至らないことがあったと思いますが、いろんな方からアドバイスをいただいて次回の展示に生かそうと思います。

出展者の皆様お疲れ様でした!

 

またの展示の機会を楽しみにしていてください。

できれば全国で展示したいなあという希望を持っています。

 

 

(+α 展示した作品の紹介)

 

写真

 

 

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数式(元の出力したままのデータになります)

 

 

腰の数式

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お尻の数式

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足の数式

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現代芸術を個人で学ぼうと思った時に

こんばんは。

昼間は春っぽくて暖かいのに夜寒いので服を選ぶのが大変な季節で、服が少ない私は今から半袖を買おうか悩んでおります。

今日は最近思った不満?と言いますか、ある種当たり前なんですけど、難しいなぁというお話をば。

 

最近、自分が勉強したいなーと思った現代アートのアーティスト、ドナルドジャッドとかブルースナウマン、ソルルウィット、などを調べておりました。その時にふと思ったのが、この人!みたいなのは探せば出てくるのですが、この流れが知りたいみたいなのは中々出てこない。また、研究そのものを探そうと思った時に私のような芸術の研究にたずさわってないものは探すのが困難なんですね。これは数学でもそうなんですが…

それ以上に芸術の場合、一般的なアーティクルとリサーチなのか区別しにくいなぁと…まあ、これは不満ですねぇ笑

もう1つは日本語の文献のなさですね。これは多分日本での需要がないからというのはあるのですが、日本での現代芸術の流れみたいなのは日本語で書かれた論文があったらいいのになあと思っております(私が見つけられてないだけなのですが…)。

どうしても日本語で書かれた論文をよむのと、英語で書かれた論文を読むのは理解度が変わりますからね。

と思いながら、最近このこと訳してくれないかなぁー、このことやってる人どう探せばいいのかなぁーと四苦八苦してるのでした。

多分、この不満は数学でも起きると思いますし、難しい問題だなぁと。

 

では、宵にいってきます。

 

芸術の持つ暴力性と私の考えが持つ暴力性

最近、人が撮るのが怖くなってました。

撮るのが嫌になったとか、写真が嫌いになったとかそういうわけではありません。

自分が考えてることを突き進めていった結果、今まであった芸術の暴力性とそれとはまた違う暴力性を持つことに気づいたからです。

私が考える暴力性の話とは別に芸術の暴力性とは?という話になりますね。

それについて話したいと思います。

 

・芸術の持つ暴力性

 芸術の歴史に対して女性のヌードは切っても切れない関係になってると思います。裸婦像やヌードのデッサン、絵画、写真など密接に関わってます。そんな中で、私が撮る、作品として世間に出すということに対しての暴力性というものがうまれます。

これはついぞこの間教えて頂いたのですが、オノヨーコさんが作った作品でこんなのがあります。

 

https://www.youtube.com/watch?v=lYJ3dPwa2tI

Yoko Ono - Cut Piece(1964)

 

これは、見た時に衝撃を受けました…こんなのを1964年に作れるのかと…

それと同時に、芸術のもつ女性のヌードに対する暴力性を如実に表しているなと感じました。

私はヌードを撮るときはこのような覚悟を持って挑んでいこうと思ってます。

 

芸術のもつ暴力性についてはなんとなくお話ができたかなと思います。

なので私の考えが持つ暴力性についてお話しします。

 

 

・私の考えが持つ暴力性

私が今考えているのは、人を幾何的対象としてみてみようというものです。つまり、人というものを線や三角形、四角柱、球といったものと同じものとしてみようということです。その時どんな性質が現れる、またはどんなことが表現できるのかみたいなことを考えています。 

何が?と思うかもしれませんが、要は人を三角形などの図形と同じように物扱いするというものです。人の人たるところではなく純粋に形状として扱うことは暴力的ではないだろうか?ととても不安に襲われました。私は図形に対して性愛などはないですし、多様体愛護協会というものほど、愛でてもいません。これは慎重に考えないといけないなあと思ってました。

 

この暴力性についてですが、最近解決(と言っていいのかわかりませんが)しました。

被写体さんとこの話をしていた時に「私はあなたをこういう風にとらえて撮ります。それで大丈夫ですか?って聞けばよくないですか?ダメだったらそれでいいじゃないですか」と言われて、目から鱗といいますか、根本的なことを忘れていたなと。被写体さんに尋ねるという一番大事なことを忘れてました… もちろん自分の作品なので自分で考えるのは大事なのですが、人を撮るのですから、そこを忘れてはいけないなと。

(ちなみにこの方には「アウトプットが下手ですよね笑」と言われました…精進したいです…)

 

そんなことを最近ずっと考えていました。

入学手続き終わりますように。。。

コーヒーと数学者

私はコーヒーが好きです。

ついぞ昨日も池袋で水出しコーヒー用のコーヒー豆を買って淹れようと思ったぐらいにはコーヒーが好きです。これがどれぐらいコーヒー好きなのかは比較できませんが…笑 コーヒーについてこんな言葉があります。

 

「数学者はコーヒーを定理にかえる機械だ」(ポールエルデシュ

 

私はこれを聞いたとき、なるほどなあと思いました笑  ちょっとした数学者のジョークが混じっている面白い話だなあと。そこらへんはおいおい話をしていくとして…

次のことって考えてみたことありますか?

 

「数学者って何?」

 

もっと言うと、みなさん数学に限らず学者といったらどんなイメージを持ちますか?

研究してる人とか、研究以外のことは興味ない、変人、すぐ裸になる、etc...

でしょうか?わたしは数学科の学生なので、数学者についてちょっとお話したいと思います。

 

  •  数学者になる方法

 

数学者になる方法といいますか、数学者には定義があるとわたしは思ってます。それは、数学の論文を提出してアクセプトされることです。よく、私は紹介されるときに「玲於奈は数学者なんですよ」と言われますが、話の腰を折ると思いつつもいつも訂正を入れてしまいます…笑 論文を書くということ、書いた論文が論文を掲載する本に載るということは想像以上に難しいのです、特に数学は。(ここは私的な主観なので…笑 もちろん、他の分野も論文を書くというのは難しいです)

あ、それとこれは必須ではないと思いますが、博士課程後期、俗に言うドクターコースまで行くことも入ってます。なので、基本的に研究者は大学に9年(学部4年、修士2年、博士3年)通います。もちろん留年もありますし、他には自分のやりたい分野が違うなあと思ったら他の大学に行くこともあるのでみんな9年とは限りません。

というわけで、私のことはこれからは数学者の卵と紹介していただけたら幸いです。

 

  • 数学者のお仕事

 数学者って基本的に何がお仕事かというと、もちろん研究です。ですが、基本的には大学に属している方が多く、授業の準備、テストの採点、雑務等々があります。これはある種、学者の仕事の本質ではないところにとても時間を割かれます。こういうことに普段は時間を割かれるため、たまに研究ができない日があるらしいです。なので、先生方は春休みや夏休みといった長期休暇に研究を進める方が多いです。

それで、研究ってどういう風にするの?と思いますよね。それは人によって様々です。ぼーっとしながら考える方もいますし、ひたすら実験を繰り返している方もいますし、計算をゴリゴリ進めるという人もいます。十人十色なのでこれ!というのはあまりないです。実際のところ、私はまだ研究をしてないので何も言えませんが…笑

 

  • 数学者って変人ばかり?

まともな方がほとんどですね。基本的には学者もコミュニケーションが大事なので。ただ、やはり偉人とかになると変人な行動が見えたりするといいますか…笑 裸で外に出たりなどは、多分ずっと考え事をするという性質があるので、気付かずに外に出てしまって…という感じでしょうか笑

変人というよりも、ずっと考え事をしてるが故に他のことが疎かになりがちな方が多い感じでしょうか。

 

 

と、こんな感じですね。少しは数学者というものが身近に感じられたでしょうか?少しでも面白いなあと思っていただけたら幸いです。

私はこれからコーヒーを飲んで、定理と作品を生み出します。

それでは。 

改めまして、自己紹介。

なんか長い記事を書くのが半年ぶりすぎて、腕が鈍ってて文を書くのすら怖いですが、書いて出さないと腕は落ちるものなので頑張って書いていきたいと思います。

よく、何をしてる人なのかわからないと言われますし、私というものを知ってもらいたいというのもあるので書かせていただきます。 

 

というわけで、自己紹介をば。。。

今はまだ関西の大学の理工学部数学科4年の玲於奈と言います。

今年の4月から関東の大学の大学院に行って数学の院生になります。

専門はモデル理論というロジックの分野になります。詳しくは今後書いていこうかなああと思ってたり思ってなかったりするので気長に待っててください。

また、写真もやっています。写真の活動はぼちぼちここでも書いていこうと思ってますのでよろしくお願いします。最近は数学とポートレートとというテーマで実験とか研究してます。

 

 

それで、またなんでブログを復活させたのかと言いますと。。。

先日、ツイッターで知り合った、前から興味を持っていた方とお話したさいに、「やってることツイッターで言っているだけだと、伝わらないからまとめてみたら?今聞いてみたら面白いことやってるんだから」と言われたので、書いてみようかなと思います。

実際まあ何やってる人かわかった方が話しやすいですしね。

 

今私が考えてることは思考と写真と数学と芸術を繋げようとしています。

まあ何を言っているかわからないかと思うのですが、もう少し専門的な言葉を使わせてください。

人を幾何的対象、数学的対象としてみて、概念的に数学を構造として作品に取り込むということをしようと思ってます。

 

あとはいかにして社会と学問をつなげていこうかなあっていうのがあります。

研究者の卵として今、学問や教育が危機にさらされている現状に対して黙っていられなくてそれで、学問に従事していない人にも学問の大切さを知ってもらいたくて、記事を書いて知ってもらいたいと思って書き始めようと思いました。

 

私個人が伝える努力を怠らないようにしたいと思いますので末長く見ていってください、頑張ります。

 

THE YELLOW MONKEYのLIVEに行ってきた。

梅雨の中、身を大きくすることもせず、ただ時間を無為に使ってしまっていた。

とても久しぶりに記事を書くらしく、自分でもびっくりした。

確かに最近時間の使い方が全くなってなく、本も読んでなければ、映画も見ていない。

もう少し生産的な日々を過ごすべきだなと感じる。

今回筆をとった理由は、先日私の大大大好きなロックバンド、THE YELLOW MONKEY(以下イエモン)のLIVEに行ってきた感想を書いて、いろんな人に話したいと思ったからだ。(押し付けてしまって申し訳なさもあるが許してください)

とても久しぶりの投稿で、文章の作成能力がだだ落ちになっているかもしれないのでご了承を。

 

自分が行ったライブは「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 SPECIAL
-ARE YOU A BELIEVER?-」 の日本ガイシホール(名古屋)の公演で、セットリストはこのようになっていた。

 

1.プライマル。

2.楽園

3.Love Communication

4.LOVE IS ZOOPHILIA

5.A HENな飴玉

6.Tactics

7.LOVERS ON BACKSTREET

8.薔薇娼婦麗奈

9.球根

10.カナリヤ

11.HOTEL宇宙船

12.花吹雪

13.空の青と本当の気持ち

14.ALRIGHT

15.SPARK

16.見てないようで見てる

17.SUCK OF LIFE

18.バラ色の日々

19.悲しきASIAN BOY

20.Romantist Taste

21.BURN

22.BRILLIANT WORLD

23.WELCOME TO MY DOGHOUSE

24.JAM

という順番だ。

 

終わったあとの正直な感想は、「今日という日を終わらせたくない」これに尽きた。

とても最高なライブだった!一緒に行った友人にも「今日のライブは結構すごい方だよ!」と言われたのも納得だ。これが一番最初のライブでよかったと思っている。

実はライブを見るまで、見るんだったら一番脂の乗ってる時期のイエモンのライブを見に行きたかったなあという無い物ねだりを思っていた。しかし、見終わったらなんて自分はアホなことを思っていたのだろうと思った。今のイエモンも最高じゃないかと。

昔のイエモンはピークを迎えた白ワインのような妖艶さと色気を持っていて、気高い香りを醸し出す、それに憧れていた。

けれど、今のイエモンはブランデーだった。一度寝かせたことによって、ワインだった頃に出せない深みと余韻が溢れ出ていた。くらべることがおこがましかったと自分の中で後悔していた。すみませんでした…… と思っていた。

 

次に思ったのは「ああ、ロビン(吉井和哉の愛称)の下ネタが生で聞けた!!!!!」である(笑)何を言ってるんだ?と思うかもしれないが、イエモンはライブではよく下ネタを言うのである。私が好きな「メカラウロコ」というライブでは毎回おそそブギウギを歌っているのである。(おそそがわからない人はググろう。お父さんお母さんに聞いてはいけないよ。)また、割と淫靡な歌詞が多い歌も多い。先のLOVERS ON BACKSTREETと薔薇娼婦麗奈もそうだし、娼婦を扱った曲も多い。イエモンから出てくる色気の一つの要因になっている可能性もあると思っている。

話はそれたがどんなのがあったかというと、ロビンがエマ(菊地英昭の愛称)のお尻を掴みながら、エマが引いてるギターのトグルスイッチをマイクでいじったりしていた。また、中部で熱いことを「ちんちん」というのだが、ロビンが「今日の夜はちんちんだぜーー!」といったり、アニー(菊池英二の愛称)が終わりに「こちんこちん?なんだっけ?あ!ちんちこちんだ!ちんちこちんだったぜ!」とか言ってたりするのでくだらないなあ(褒めている)と思うw 欲をいえばおそそブギウギを歌って欲しかったなあと思っていた。

 

そんな下らない(褒めt(ry)ことだけでなく感動したこともたくさんある。

例えば、ライブの演出が昔のライブのインスパイアな感じを受ける場面が多々あった。(私の妄想かもしれないが)空の青と本当の気持ちを歌っている時のライティングは昔のライブを思い出す感じだった。とても良かった。

また、ライブの途中でロビンがこんなことを言ってくれた。

「私たち、普通の野良犬からちょっとSUPERな野良犬に戻ります!」

これはメカラウロコ8でロビンが「私たち、普通の野良犬に戻ります!」と言った言葉からきている。

これを言われて感動しないわけがない、本当に嬉しい言葉だった。

 

思い出すだけで、あの場所に戻りたい、そう思う。そんなとても素敵なライブだった。

また、今度ライブがあったら見に行こう。

 

 

しかしこの文がとてもひどいなと思うので、こまめに書いていこう。それでは失礼。

 

 

 

マネーショート

もうすぐ春ですね、ちょっときどってみませんか?

 

ということで、一ヶ月もサイトを更新しなかったことを悔やみながら、置いておいた筆をとってみた。

言い訳だけさせていただくと、2月3月は移動が多かった所為かどしっと座って映画を観る時間が全然取れなかったのが原因だ。他にも本を読もうと思わなかったなあ。数学書しか読んでいなかった。それでは感性が鈍ってしまうと思い、いとまができたので映画館に行って映画をみてきた。

 

2015年、アダム・マッケイ監督によるアメリカ映画。これは2004年から2006年に起きた住宅バブルによって住宅ローンの債権が高利回りの金融商品として扱われた。それを買い漁る投資家が多い中、いち早くバブル崩壊の兆しを読み取った投資家がいた。彼らがリーマンショックが起きた時にどのようにして巨万の富を得たかを描いた作品になる。

 

この作品は巨万の富を得た4人の主人公(正確には1人が主人公であるが、フォーカスを当てているのはこの4人なのでこの4人といっても差し支えないとおもう)金融トレーダーのマイケル・バーリ、ドイツ銀行屋のジャレッド・ベネット、ヘッジファンドマネージャーのマーク・バウム、一線を退いていた伝説の銀行屋ベン・リカートをメインにしている。細かくシーンを変えるため、頭の中で整理しながら見なければならないのが難点である。めっちゃノート使いたくなった。それと金融用語のオンパレードなのでファイナンスに詳しくないと分かりにくい映画であったと思う。しかし、途中に表れる説明がジョークが効いていて中々的を得ていたのでかなりいいと思う。

 

 とまあ、作品の講評はこれぐらいにしていつも通り、自分の書きたいことをつらつらと。

リーマンショックが起きたことは知っていても、リーマンショックがなぜ起きたのかを知ってる人はほとんどいない。また、CDOCDSなんてものは金融屋とか、ファイナンスを勉強しているものでないと理解できない(作中ではうまい例えをしている)ものばかりである。実際私もファイナンスを勉強していてよかったなと感じた。

何が言いたいかといいうと、知識という武器を持たないといけないということと、人間には感情も必要なのだとということである。

知識という武器がないと今起きてる状況がやばいといういうことが分からないのである。当たり前だが、だからと言って持っている人がいるかといえばそうではない。みな楽して生きられるなら生きたいと思っている。そんな中専門的な勉強などしたくないというのはわかる。ただ、そこで勉強しないのはいいが、そのせいで起きたことは自己責任だということを理解しなければならない。それを理解していない人が多いと思う。結局他力本願だし、今回のサブプライム住宅ローン危機は結局政府が関与して金を出したし、本当に腐ったものを見た。あまり私はそういうことは好きではない。だから知るということが大事だと常日頃から思っている。

また、それとは別にマイケル・バーリが儲ける前に一つ事件が起きた。自分にお金を貸してくれた資本家達から資金の引き上げを宣言されたのだ。マイケルが契約したCDSをちゃんと説明したのだが、理解されなかった。まあ、彼の言い方は傲慢さがあったし、説明も不十分だったのが要因だと思う。映画の中でこのようなことをマイケルが書いた。

「人は事実をちゃんと見て儲ける金融トレーダーよりも、信用を築き上げた金融トレーダーを選ぶ。私はあなた方と信用を気づけなかった」

これはまさにそうだなと思った。何事も契約は信用があってこそ成立するものなのだと日々感じている。たとえ優秀でもそこがないといけないと私は思っている。最終的にマイケルは自分の資産を削って儲けは自分のものになったが、果たして成功と言えたのか…

 

とまあこんな感じで楽しめたので中々いい映画だったと思う。

他の3人にはほとんど触れてないし是非見てみてほしい。