書を読みながら、街にもでよう。
タイトルは某山修司の某タイトルを意識してますが、ピュアにそう感じてます。
なぜこんなタイトルにしたかと言うと、先日大学の芸術学部の現代アートのアーティストでもある先生とお話をさせていただきました。
その時に言われたことをまとめたいなぁと思い、こんなタイトルになりました。
一連の流れとともに.
先生にアポイントを取ってみた
私が通っている大学は実は国立の総合大学で芸術学部もあるというとても稀有な大学です。(確かうちしかないはず…私立だともう少しありますが、まず総合大学で芸術学部がある大学は日本では少ないです)
今年の4月にその大学院に入学したのですが、芸術に興味があるので授業を受けたいなと思いました。実は大学院の授業はどこの研究科の授業も受けることが可能なのです!(指導教官の許可が必要)なので芸術専攻の授業も取ってみました。そして、どうせ取るなら今考えてることを先生に聞いてみたいと思い切ってアポイントメントを取ったのです!(安直な発想ですが、割と誰もやらない)
そしたら、先生がお時間を作ってくださってお会いできることになりました。(二日後にお会いすることに)
先生との談話
先生と会話をする前に私が作った作品を何個か見せてみました。全部の作品を見てもらうのに10秒もかかりませんでした。そして一言。
「これを見て、私はあなたをプロのアーティストどころかアマチュアにも達してるとは思えない」と言われました。
いやー、私的な文章になりますが、この瞬間かなり悔しかったです、本当に悔しかったです。(大事なことなので2回言いました)
そして先生にいろんなことを言われました。
- 圧倒的にインプットが少なすぎる
私には芸術の知識そのものがまだまだ全然たりません。実際芸術の真面目な勉強を始めたのは年が明けてからです。また、様々な作品に触れてこなかったこともあり、身銭を切ってでもたくさん作品を見ろ!と言われました。まさにその通りなのでぐうの音も出ませんでした…
- アウトプットの質の低さ
これは前から私も思っていたことです。作品として世に出すなら、それはクオリティを上げて出すべきだ。洗練されてなくては伝えたいことも伝えられない。というようなお話をされました。これはたくさんの展示を見て、アウトプットを学ぶことをするべきという前と同じ点になります。そして、展示や講評を重ねることですね。展示はともかく定期的な講評はされたいんですが…という悲しい状況です。
- 道は険しい
「プロを目指していこうと思ったら、今大体プロの現代アートで活躍してるのは100人いて、その中でトップは10人しかいない。そこに今から目指すなんて無謀すぎる」と言われました。当たり前といえば当たり前なのですが…でも歳のせいで諦めることはできません。
- 二足の草鞋では無理
これは私も思っていたことなのですが、今後数学をやるのか?芸術をやるのか?を選ばないといけません.博士課程後期にどちらかに進もうと思ったらどちらかの研究はできないぐらい厳しいです。なので今後どうするかを決めないといけないですね。「指導教官に相談してみるといいよ」と言われましたが、絶対無理だ…
まとめ
そんなこんながありましたが、先生と私の生き方や物に対する考え方はとても共通してました。人生は死ぬまでの暇つぶしとか、本は買って読まないとなど。また、数学の研究をしてる人が芸術に興味をもってくれることはとても嬉しいと言われました。私はなんというか、この方はちゃんと私を評価してくださったのがとても嬉しかった反面やはり悔しかった…
そのあと先生と「もし一年後何かできたらまたおいで。その時もし三秒見てられたら君はアーティストになれると思うよ」と言われたので、私は「三秒と言わずに三分見てもらいます」という売り言葉に買い言葉的な感じで来年に勝負するという話がついて終わりました。
そんなことがありまして、私は書を読みたいし、街にも出かけたいと思うのでした。
いろんなものを見て考えてアウトプットしたいのです。
それでは失礼しました。